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当ブログは今日の風王日記2ndへお引っ越し致しました。
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2014年09月24日

「炎立つ」観て来ました。

岩手県民会館
初めての町でどうなることかと思いましたが、ほとんど迷うことなく会場に辿りつけました(笑)。
東京だと似たような風景が続くので、迷うんですよねえ。
方向音痴じゃないと思ってたけど。

さて、舞台ですが、もう千秋楽を終えたので、ネタばれしてもいいですよね?
舞台の感想って苦手で、記憶違いとか、細かいセリフとかも結構忘れてたりしますので、その辺は暖かい気持ちで見守って頂ければと思います。

炎立つパンフレット
舞台上には最初、瓦礫が置かれています。
そこで杭を打つキヨヒラ(この舞台では、名前は全てカタカナ。実在の登場人物として描くというより、誰にでも通じる物語として描きたいのかなと勝手に思ったり)。
ストーリーは思った以上に原作に沿った流れで展開しました。
主な話は、原作で言うと、4巻の後半も後半(文庫本では303ページ以降←細かい(笑))、ヨシイエによって、奥六郡を、キヨヒラとイエヒラが分割して統括すると決められた所から始まります。
自分こそが清原家の棟梁と譲らないイエヒラは、東北の古代神、アラハバキに魂を預け、ケダモノとなってでもキヨヒラを討ち、棟梁とならんとします。
アラハバキは、蝦夷の長い怒りや憎しみの象徴。
このアラハバキは、キヨヒラやヨシイエの前にも現れ、憎しみの心を煽ります。
棟梁になろうとする野心とキヨヒラへの憎しみだけで戦いをしようとするキヨヒラは、簡単にアラハバキに翻弄され、何もかも失って行きます。
ヨシイエ達を凌駕するほどの3万という大軍も母親も。
対してキヨヒラは、運命を受け入れ、キヨヒラとは戦いたくないと思いながらも、母親を連れ去られ、館に火を付けられ、その母が、キヨヒラの足手まといにならないようにと、身重の妻のキリとともに自害したことを知ると、イエヒラへの憎しみに目覚めます。
何故?運命を受け入れて来たのに、一体私が何をしたのだ?
このキヨヒラの叫びが、震災で突然家族を奪われた方の叫びのようで、何だか胸が痛み、涙してしまいました。
またイエヒラは、何故母上は死んだのだ、キヨヒラのためかと言うセリフがあるのですが、マザコンということではないのでしょうが、そのセリフは、愛する夫を奪った清原家に嫁ぎ、憎い男の子供(イエヒラ)を生んだ彼女は、自分ではなく、異父兄のキヨヒラだけを愛しているのかという問いにも聞こえ、棟梁になろうという野心も、本当は母親に振り向いて貰いたいという気持ちからなのではないかと思えました。
カインコンプレックスと言うらしいですが、母のユウは清原憎しの気持ちを持ちつつ、イエヒラを生み育てますが、それをイエヒラはどこかで感じ取っていたのではないかと感じました。
これは小説を読んだからこそ、感じられたことかもしれませんが。
段々とケダモノさが増して来るイエヒラの前に、母の亡霊が現れ、辛い思いをしていたことを話し、それでもお前(イエヒラ)は母と慕ってくれたと語りかけます。
しかし、イエヒラはその言葉を受け入れず、差し伸べられた手を拒否します。
憎しみのままに滅びの道を突き進んで行きます。
一方のキヨヒラの前には、妻のキリが現れ、他人の自分でもあなた(キヨヒラ)と家族になれたのだから、イエヒラとも家族になれると言います。
キヨヒラはイエヒラとは反対にキリの手を取ります。
憎しみを持ち続けるか、捨て去るか。
兄弟を通して、戦いを続ける事の意味を問いかけているようでした。
キヨヒラの刈り取った稲を奪うという作戦で食糧が底を尽き、やがてイエヒラ軍は追い詰められ、兵たちは餓死したり、逃げたりし、イエヒラも人肉を喰らうところまで追い詰められます。
腹が減っているのに、人肉を食べても吐き出したというイエヒラ。
彼の最期が近づいてきます。
何故、俺は戦った?
何故、俺は生きた?
何故、俺は生まれた?
冥い野心と憎しみのままに戦い続ければ、やがて人はケダモノとなり、滅んでいく。
それを体現したのがイエヒラと言えるのでしょう。
しかし、イエヒラの最期のセリフを聞いた時は、前記した、母の愛を求めた息子の言葉のようで、切なく、悲しく響きました。
実はここのセリフ、20日の公演の時と、21日の公演のとでは変わっていたように思います。
21日は「俺は何だったんだ?」となっていたようなんですが、もし変わったとしたら何でだろう?
演出家の指示?
まさか健君、忘れた訳ではないよね?(^_^;)まさかね。
キヨヒラは、アラハバキの「国とは?」という問いに対し、「民」と答えます。
アラハバキはその言葉に自らを封印します。
ただし100年。
100年経ってまたこの地で争いが起こったら、再び現れると(この辺、ちょっと曖昧ですが、そんな感じです(笑))。
戦いが終わった後、キヨヒラは陸奥の国に野心を持つヨシイエを遠ざけ、平泉を作ることを誓います。
新たな大地に杭を打つキヨヒラ。
そこには始まりの時にあった瓦礫はなく、いくつかの花が咲いています。
そう遠くない未来にそこら中に花が咲き乱れるという予感が、そこにはあります。
キヨヒラの思いは、藤原3代に受け継がれ、頼朝が攻めて来た時も、争う愚を捨てる選択をすると告げて、終わりました(ここもセリフは曖昧ですが、そんなようなことを言いました(笑))。
20日の終演後、拍手は鳴り止まず、4度目にはスタンディングオベーション、計5回のアンコールがあり、最後には愛之助さんの挨拶で締められました。
21日も同様でしたが、3度目で立つ人がちらほら。
迷いましたが、私も思い切って立ち上がりました。
バラバラと立つ人が増えて、全員でのスタンディングオベーション。
感動しますね。
4度目のアンコールでは、全員が挨拶です。
しかし〜、耳が悪いので、あまりよく聞こえず…(T_T)。
平幹二郎さんだけははっきりしてました。
さすが舞台人です。

キヨヒラ(片岡愛之助さん)
愛之助さん。
父が違うとは言え、弟と戦うことに悩み、苦しみ、1度は妻と母を失った憎しみを持ちながら、骸となった弟の体を抱いて悲しむ姿には、本当に胸を打たれました。
でも、セリフや動きに、微妙に歌舞伎が入るのは…致し方ないですかね〜。
イエヒラ(三宅健君)
健君。
事前のニュースで、記者に「(本人だと)わからなかった」と言われていたというのを読んで、どんなんだろうとわくわく。
キャラメルボイスと呼ばれる、その年齢にしては甘い声なのに、アラハバキに魂を与え、ケダモノとなってからの凄みが、キャラメルボイスに面白い変化を与えていました。
この声だけ聞くと、アニメとかでおじいさんとかの役やってもおかしくないんじゃないかなと思ったり(笑)。
最期を迎えた時、ぶるぶるっと体を震わせ、がっくりと倒れ込むのですが、それが身も心もボロボロになり果てたようで、すごかったです。
あと、アラハバキに操られて、転げ回るのですが、さすがアクロバットを売りにしていたV6なのか(笑)、身体能力がすごくて、バク転したり、色々見せてくれました。
アラハバキ役の平さんが、「いじめがいがある」と言ってましたが、この場面かしら?
もしDVDがあるなら、ここを何度も見返したい(笑)。

アラハバキ(平幹二郎さん)
平さん。
何と、御年80歳だそうです。
ていうか、誕生日が11月なので、誕生日が来たら81歳です。
(°0°;)マジで?
写真もそうですが、舞台を見てても全然そうは見えません。
声もよく通っていて、最後の挨拶では一番よく聞こえた程です。
もちろんセリフだって全然年齢を感じさせない。
80歳と聞いて、鳥肌が立ちましたよ。
人間、鍛えるとすごいんですね。

芝居を見てて印象的だったこと。
音楽が現代的だったんですが、効果音でも時々楽器を使ってました。
それで、キヨヒラの妻と母が短刀で自害する時にもバイオリンで音を出したのですが、これがね、キーンという音で、何だか、血飛沫のシューッっていう音に聞こえて、ちょっと不気味さを感じました。
それからコロスが登場するんですが、4人なんですよね。
少ない感じがしたんですが、これって普通かしら?
芝居にもよるのでしょうけど。

覚えていることは大体書いたつもりですが、何か思い出したら、また書きます。
ひとまずはこれにて終了です。
よい舞台を観ました。
再演がもしも実現するならば、その時こそは秋田で上演して頂きたく思います。
だってセリフに「出羽」って何度も出るのにさ、戦いの舞台の沼の柵とか出るのにさ、何で上演しないのさ。
これだけが不満です(^_^;)。
まあ、色々事情があったかもしれませんけどね。

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posted by 風王 at 00:32| 秋田 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 感想(TV番組、ドラマ、映画、舞台等) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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