お知らせ

当ブログは今日の風王日記2ndへお引っ越し致しました。
内容は変わっていませんし、こちらも削除せず置いておきますので、変わらずご訪問くださると幸いです。

2017年03月05日

「TTT戸惑いの惑星」感想

お願いだから笑って許して下さい!
1回しか観てないんで!
無駄に長いんで、ブログにはキャラクターのみにしています。
本文に長谷川について、三池と由利、そして3人の関係については「追記」に載せてます。
※携帯の方はランキングの下をそのままスクロールしてお読み下さい。
他のはサイトにUPしましたので、お暇な時に覗いて下さい。
戸惑いの惑星レビュー

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 はじめに。
 1度しか公演を見ていません。
 観劇したのは2月12日。もう随分時間が経っています(本日は3月5日)。
 なので、かなり記憶が曖昧です。
 思いこみで書いてます(多分、こんな感想書く人いない…)。
 舞台や映画などの感想を書くのが、とても苦手です。
 観た時は色んな感情が湧きおこっているのですが、それにあてはまる言葉をうまく探し当てることが出来ません。
 そうしているうちに、地面にまいた水が乾いていくように、感情も段々小さくなっていって、今度はそれを掘り起こす作業をしなくてはなりません。
 DVDなどならば何度も繰り返してみれば、まだそれも可能なのですが、1度きりの観劇で感想を書くのは、本当に苦手です。
 思いこみでおかしなことになっていても、皆様笑ってお許し下さい。

 詳細なストーリーの説明などは省いております。
 その点をどうか皆様、お汲み取りいただいて、お読みくださいますよう、お願い申し上げます。
 なお、文章の性質上、文中敬称は略しております。
 ご了承くださいませ。

三池(坂本昌行)
由利(長野博)
長谷川(井ノ原快彦)

*長谷川
 手紙(私的なもの、公的なものを問わず)を当人に代わって書くという作業は、なかなか骨が折れる作業だ。
 私の母が何か文章を書かねばならない時、いつも私に推敲を頼んでくるのだが、推敲というのも楽ではない。
 母の考えを理解し、租借して、そこに当てはまる言葉や文章を探し出したり、文の組み立てを考えたりする。
 あまり変えると、母の文章ではなくなるし、その加減も難しい。
 先日も頼まれたのだが、高齢になったせいなのか、以前よりも文章が明瞭ではなくなり、有体に言えば文章が下手になっていて、ほとんど代筆のような作業をすることになった。
 母の気持ち、母の考えを念頭に置いて、それでいて元の文章をあまり壊すことなく、言葉を置き換え、構成を組み直す。
 それでも私と母は血縁であり、長く一緒に暮らしているから、相手の性格や考えもある程度わかっているので、やりやすい。
 長谷川はいつか自分の手紙を書けることを願いながら、代筆業を始め、様々なクライアントと接していく。
 クライアントの要望を汲み取り、クライアントの満足のいく手紙の代筆をする。
 ずいぶん難しい要求だったり、面倒な内容だったりして、仕事をこなしていくうちに、彼は段々と心を疲弊させていく。
 そこへ現れたのが、長谷川の初恋の女性だった。
 彼女は長谷川にとっては残酷な依頼をする。
 余命幾ばくもない彼女は、愛する恋人への別れの手紙を書いて欲しいと頼んできたのだ。彼を傷つけないように。
 長谷川は自分の気持ちを押し殺し、飲み込み、手紙を書く。
 既に代筆業という仕事に疲れていた長谷川にとって、この仕事が止めを刺すことになる。
 代筆業になる前は、小説家を目指し、何度も出版社へ原稿を持ち込むも断られ、辿り着いたのが代筆業という仕事だった。
 その仕事に長谷川が夢や希望を持っていたという描写はなく、いつか自分の手紙を書けるようにというが、それも「一縷の望みを抱いて」いるような印象があった。
 けれど現実はもっと重くて、他人の手紙を代筆することによって、たとえ一部でもその人の人生を肩代わりすることになり、それが長谷川を押しつぶしていく。
 偶然現れた初恋の女性を、今でも思っていたわけではないにしろ、彼女の恋人への深い思いを知り、彼女に成り代わって手紙を書いただろう。
 一言一句、精魂こめて。
 自分の心を極限まで削ぎ落とし、彼女の気持ちに寄り添い、彼女の思いを自分ではない、彼女がそうまでして愛する彼へ向けて書いただろう。
 それは後に明かされる手紙の内容から窺い知れる。
 そして長谷川は我を失う。
 彼は自分が誰かわからなくなる、「人格喪失症」になってしまう。
 井ノ原快彦という人間は、世間でどう見られているか。
 今はNHKの朝の顔としてその名を知られているだろうし、V6のファンであれば、やんちゃで、話は盛るし、悪ふざけが過ぎるし、「子供」「男の子」の部分を大いに残しながら、V6の中心で上と下をまとめている人ということになるだろう。
 彼の屈託のない笑顔は、本当に幸せな気持ちにさせてくれる。
 けれど気づいている人も多いと思うが、時々孤独な目をして写真に写ることがある。
 それを見る度に、実は感性がとても豊かで、繊細な人なんじゃないだろうか、周りが思う以上に色んなものを見、傷ついて来たんじゃないだろうかと思う。
 私が思うそんな井ノ原像と長谷川は、とても重なっている。
 だからこそ、芝居の中での話とは言え、長谷川の末路は、とても切なくて、苦しかった。
 芝居の最初の方と最後の方で、入院している長谷川が出てくる。
「人格喪失症」を患っている長谷川は、見舞いに来た三池や由利のことはもちろん、自分の名前もわからない。
 三池が名乗ると「僕は……」と言いかけて、ベッドにあるネームプレートを見て「長谷川です」と言う。
 そのネームプレートを振り返ったり、名乗ったりする演技が、何とも言えない、純粋な、素直な子供のように見えた。
 最初はかわいい子供みたいと思うだけだったが、終わりの方では、その子供のような言い方や仕草が、切なくて苦しくさえなって、泣きそうになった。
 長谷川が、生まれてから大人になるまでに得たものが全て失われて、純粋な魂だけが残ったような、それは悲しい反面、美しいものにも見えた。
 こんなことを言えば、井ノ原本人は「俺はそんなに子供じゃないし、弱くもない」と言うかも知れないが。
 演出のG2は、井ノ原にあて書きしたと言うよりは、井ノ原の表面(ペルソナ)を廃して、彼の中にある「孤独」や「素直さ」だけを抽出し、長谷川を作り上げたのではないだろうか。井ノ原の全ては長谷川ではないが、長谷川は井ノ原の純粋な魂を脊髄とした、井ノ原をアダムとしたイブなのではないか。
 そんな風に思えて仕方ないのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

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*三池・由利
 長谷川の初恋の女性は、三池の恋人だった。
 つまり長谷川の書いた手紙は、三池へ渡ったのだ。
 絵描きを志し、だが1枚も自分の絵が描けず、今は似顔絵描きをしている。
 が、その絵は似ていないどころか、阿修羅のような顔になってしまう。
 1枚も自分の絵が描けないくせに、プライドだけは高い三池。
 ちっとも似ていない似顔絵も、「見て描くんじゃない。ハートで描くんだ」と自分のやり方を変えない。
 そんな彼が愛した女性は、彼が絵を描くそばで笑ってくれていたのに、ある日突然姿を消してしまう。
 一通の手紙を残して。
 自分は記憶喪失だった。私は私の人生に戻る。私の人生の中にあなたはいない。
 絶望した三池は、似顔絵すら描けなくなる。
 私の人生の中にあなたはいない。
 芝居ではこの手紙の場面では、まだ彼女の秘密は明かされていない。
 だが終盤で彼女のことが明かされていくと、この言葉の重さが伝わってくる(それを書いたのが長谷川であるという事実も、また重い)。
 三池は、その言葉の意味を理解し、ただ涙する。
 ファンならばよく知るエピソードだが、三池演じる坂本昌行はジャニーズに入りながら、群れることを嫌い、1人でいることが多かった。
 初めてのレッスンで怒られ、「帰れ」と言われて帰ってしまうぐらい、生意気でもあった。
 彼のその手の話は、今はもう鉄板とも言えるほどの笑い話だ。
 20歳になる前、なかなかデビューできないことに悩み、ジャニーズを退所して、サラリーマンを経験した後、再びジャニーズに戻って来た話も多くのファンが知るエピソードだ。
 根拠のない自信もプライドの高さも、恋人を失うことで一気に崩れ去る三池は、そんな坂本を意識して描かれたキャラクターなのだろう。
 恋人となる女性とめぐり合って恋に落ちるシーンは、ミュージカルに多く出演する坂本ならではのシーンになっていた。
 相手がいない状態なのに、恋に落ちた幸せに満ち溢れていた。
 映画でしか見たことはないけれど、ウェストサイドストーリーのトニーとマリアのシーンみたいだななどと思ってみたりした。

 由利は超常現象を科学的に解明しようと研究している。
 しかし研究室は予算がおりず、閉鎖の危機を迎える。
 由利が研究を続けて来れたのは、妹の応援があったからだった。
 しかしその妹は、病で亡くなってしまう。
 そこへ、母から家に帰って来ないかと手紙が来る。
 由利もまた、夢と現実の狭間で揺らぐ。
 由利を演じる長野博は、宇宙の話が好きらしい。
 今回の芝居でそのことを初めて知ったが、グルメでも極めずにいられない長野らしく、由利もまた研究に没頭している。
 長野もまた、ジャニーズに入りながら、長いジュニア時代を過ごし、退所の経験もしている。
 研究自体があまり注目を集めなくなり、研究所でも次々人がやめていき、ついには教授と由利の2人だけになってしまったという状況は、こつこつ努力を重ねている間に、ジュニアの仲間がやめたり、後輩がデビューしたりして、彼が残されていった状況を髣髴させた。
 思えば、長谷川、三池、由利は、同じ学校で同じ学年でありながら、名前は知っているけれど顔が一致しないという設定になっている。
 現実の3人はもう少し親密だし、仕事が一緒になったことも多いけれど、基本的には同じ事務所にいながらグループを結成していたわけではなく、別々の行動をしていた。
 役の3人を現実の3人をそれとなく想像させるように設定させていて、ファンとしては入り込みやすくなっている。
 また三池と由利の2人のシーンでは、由利が説明して、由利が三池にあれこれ指示するのもファンには嬉しいシーンかも知れない。
 もちろん何も知らなくても困るわけではない。その辺りの作り方はソフトだ。

*3人の関係
 各キャラクターをクローズアップしてみたが、少しカメラを引いてみる。
 長谷川が憧れ、三池と愛し合った女性は由利の妹だった。
 多分芝居を見ていた客の中には、薄々気づいていた人も多いと思う。
 各々で語られていた出来事が、1人の女性という共通項で繋がった時、同じ学校で同じ学年でありながら、名前は知っているけれど顔が一致しない3人の出会いが、偶然ではなく必然であると思わざるを得なくなる。
 しかしその女性は病で若くして亡くなってしまう。
 彼らは同時に大事な人を失ってしまったのだ。
 ならば3人の関係もそこで終わってしまったのか。
 いや、そうではなかった。
 彼女は彼らにあるものを遺して行った。
 音楽だ。
 高校時代、三池に恋した彼女は、その思いを楽曲に込めた。
 三池はそれを作ったのは誰かと知らずにその曲を気に入り、CDを手にした。彼女と出会い、愛し合うようになったのも、偶然その曲をある店で、三池が演奏していたからだった。
 彼女が初恋だった長谷川も、その曲を手に入れていたし、兄である由利も知っている。
 他の方の感想でもあったけれど、この「彼女」は長谷川達の夢や希望といったものの暗喩だろう。
 それぞれ進んだ道は違っても、胸に秘め、思い焦がれ、心の支えとして来たもの。
 だが、彼女=夢や希望は失われてしまう。
 そして残されたのが音楽だったのである。
 先にも書いたが、役の3人の設定は、あてがきだからというだけでなく、実際の3人を彷彿させる。
 坂本達も夢や希望を抱いて、事務所に入った。入った理由はそれぞれ違っても、なりたい自分を目指していたはずだ。
 同じ事務所でほぼ同時期にジュニア時代を過ごしながら、3人が3人ともデビュー出来ずにいた。
 それぞれが持っていた夢や希望が、徐々に失われていった、あるいは見えづらくなっていったのではないだろうか。
 しかし彼らには音楽があった。
 音楽が3人を結びつけて、長い時間がかかったが、同じグループでデビューを果たした。
 多くの人が長谷川が「人格喪失症」となってしまったことに悲しい思いを抱いたと思う。
 長谷川というキャラクターに寄って見ると、確かに彼の病は苦しいぐらい切ない。
 だがカメラを引くようにキャラクターから離れてみて、この芝居に設定されたもの(長谷川の小説や病気など)を取っ払って見た時、ラストの病室での3人の様子はあるものに見えて来る。
 それは雑誌の対談で語られた、G2と坂本・長野を井ノ原が引き合わせた時のエピソードだ。
 既に酔っぱらっていた井ノ原は、さんざんG2を引っ張り回した揚句、ようやく2人の元へ辿り着いた。
 酔って寝てしまった井ノ原を見て、2人が「その辺に転がして置いて下さい」と言ったのを見て、G2はその3人の醸し出す関係がいいなと思ったという。
 その状況を当然見てはいないが、何となく想像はつく。
 しょうがないなと呆れつつ、嫌わないし、ありのままの井ノ原を受け入れる関係。
 V6では真ん中だが、3人の中では弟となり、坂本・長野が兄のように庇護する関係。
 あの病室でのシーンでも、(私個人の見解だが)子供みたいになって、病で自分のことがわからなくなってる長谷川を、三池と由利は見守っているような、切なくも温かい雰囲気を感じた。
 それは酔っぱらった井ノ原を見て「その辺に転がして置いて下さい」と言った時、G2が感じた「いい関係だな」という思いから生まれた場面だからなのではないだろうか。
 芝居自体は伏線が張られ、時空と空間を越え、SFのような、ロマンチックな恋物語であるような、それでいて夢を持って生きていく時に感じる苦みもあるような話だったけれど、G2の思い描いていたこの芝居の世界の根底には、最初に坂本・長野を井ノ原が引き合わせてくれた時にG2自身が感じた、「いいな」と思える3人の関係性があったのではないだろうか。
 長谷川が今後どうなっていくのかは、芝居では提示されず、わからないままだった。一生自分がわからないままなのか、それとも自分を取り戻すことが出来るのか。
 でも3人は音楽で結び付いている(最後に歌った「Dahila」はその象徴だと思った)。
 名前と顔が一致しない3人の出会いは偶然ではなく、必然だった。
 長谷川がどんな風になろうと、2人は彼に寄り添っていくだろう。
 キャラクターの3人側からではなく、現実の3人側から芝居を見てみると、悲しいと思える長谷川の最後も、悲劇ではないと思える。

 もう少しカメラを引いてみる。
 代筆業という仕事は、よくよく考えれば、人と人をつなぐ仕事だ。
 クライアントの依頼で手紙を書き、相手に渡すことで、クライアントと相手をつなげる。
 芝居の中でも長谷川の書いた手紙や小説が、他の三池や由利をつなげる。
 年齢的にも井ノ原はV6の中では真ん中で(実生活でも姉と弟に挟まれている)、グループ内で一番上と一番下の年齢差が大きいV6の年上組と年下組をつなげる役割を果たしてきた。
 年下組の意見を聞いて、年上組に伝えるようなことをやって来たようである。
 手紙は介在しないものの、代筆業と似た作業だ。
 もちろん長谷川のように、自分が誰だかわからなくなるというのはないにしても、「井ノ原はどう思う?」と聞かれて、「考えてなかった」ということはあるらしい(決して自分の意思や考えがない人ではないが)。
 何故長谷川に代筆業という職業を当てはめたのかはわからない。
 しかし雑誌での対談によれば、G2と3人が話をする時は、芝居の話よりも、3人が好きな話をし、G2はそれを聞いていたそうである。
 これは全くの憶測なのだが、G2は彼らの話の内容そのものばかりを聞いていたわけではなく、その言葉から零れて来る感情や、にじみ出る性格、そして彼らを取り巻く人間関係をも拾いあげていたのではないか。
 だからこそ坂本演じる三池は職人気質の画家で、長野演じる由利は研究者、そして井ノ原演じる長谷川は、人と人をつなぐ代筆業だったのではないか。
 ここからは憶測を超えて、妄想の範疇に入ってしまうが、G2が3人が話す言葉から感情や性格や、彼らを取り巻く人間関係を感じ取っていたのだとしたら、きっとV6の年下3人の存在も感じ取っていたのではないだろうか?
 色んな性格の、色んな職業のクライアントからの依頼で手紙を書き、相手とクライアントを結び付ける長谷川に、年齢も性格もバラバラの5人(特に上2人と下3人)を結びつけていた井ノ原を投影させていたのではないか。
 大袈裟に言えば、この芝居は、井ノ原を中心として見た時のV6のメンバー6人の関係が映し出されていたのではないか。
 G2にその意図はなかったにせよ、井ノ原にあて書きをした時、V6の中での役割というか、立ち位置が影響を与えたように思えた。
posted by 風王 at 07:09| 秋田 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 感想(TV番組、ドラマ、映画、舞台等) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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